釣り人から世界を考える。大物を釣ると言う事

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釣り人の視点から世界を考えてみたいと思った。

新型コロナウイルスによって海外出張が全て取りやめになり暇になったから仮想空間の頭の中へ逃げたいと考えたらだ。

私達は釣り人で、川や海そして船を使って魚釣りを趣味として行う者達だ。

一つ問題があるとすれば、競争を止めれず激化させる事だ。

淡水や海水などに生息する魚を全部取ってしまったら、もう取ることはできない。

魚がいなくなったからだ。

その要因の一つとしてネット情報から最新の釣果を知ることが出来るようになったことで、書籍に比較して各段に情報の鮮度が向上したよね。

だから今日の釣果を今日知ることが出来るから明日その場に多数の釣り人が押し寄せる事となった。

ただ

一度にたくさん取らずに少しずつ釣っていれば毎年新しい命によって永遠に釣りを楽しめるよね。

しかし現実はどうだろうか?

あなたが魚を釣る総数は、周りの釣り人の数に反比例するのでは無いか?もちろん努力や場所も重要な要素だけれどだ。

簡単にあなた一人ならば釣り放題と言える。しかし、自分の周りに他の釣り人が居て多くなる程に、釣れば釣るほどに残りの魚の数は減少し釣れなくなる。

趣味である釣り人すら、大きさや重さや数を競っては居ないか?

専業の漁師なら収入に直結する為、競争は激化する。本来なら年間の釣り期間や数を決めてみんなが守る事が重要になるよね。

漁業規制:水産資源保護などの為に行われる種々の規制。 参考記事:水産庁|資源管理の部屋

1日の漁が1時間が妥当で合意しても3時かも粘ったり、より多く捕れ続けれる限り続けて、結果的に全体で多く取り過ぎるかもしれない。そうなれば有限な資源は枯渇へと進んで消え失せてしまう。

一人で1時間だけ釣りをすれば毎日毎年続けれたことも、一日中全員が釣りをすると、やがてほとんど釣れなくなってしまう。

私達は利益を追求する生き物のように振る舞う。利益追求が営利団体の目的の一つだとしても、この思考は近代のものだ。利益追求を地球規模、世界規模で行う超多国籍業は、交換価値の最大化を目指し、地球を汚染し搾取を続ける。

ここで私達は、公共の利益を考えなければ持続性は無理だ。

つまり、自分たちのことしか考えない人にはならないという事。節度をもって愚か者にならない様に適当に過ごしたいと思う。

適度等が不足な

その意味で天然資源の所有者管理者としての自覚を個々人が持つ必要がる。自分の所有物ならば保護の思考が働くだろう。家に鍵をかけスマホに鍵を設定するのと同じく魚を守る為に、天然資源を売買できる社会で、資源を効率的に管理し、利益を生み出す人々が所有者として振る舞う。その所有者が最も高値で資源を入手する仕組みだ。

所有者は個人でなくても団体でも企業ですら必要がない。ここの市場を分割し数千数万人の違う所有者が所有するのだ。分配は所有為に支払ったコスト数に応じて天然資源から生まれた利益を分配または分割すれば良い。

環境破壊から守るためのマインドは、交換価値優先から経験方優先へと移行出来なければ不可能だろう。

しかし、管理監督し規制する者が誰だろうか、良くも悪くも国家しか無いし、釣りから考えた経済でもお金から政治を切り離す事は出来ない。

「一握りが大部分を所有する事」から「大多数が全体を部分所有する事」が求めらる。

その全ては投票によって行われている。なぜなら民主主義でも投票するチャンスが用意され選挙が行われる。

あなたの人生を支配権を持つ金持ち達だけの判断に任せるのだろうか?民主主義は腐敗し不完全だけど他の方法をまだ発見していない一つの方策に変わりはない。民主主義だからこそ間違っている事を証明出来る。

欲を満たすだけでは幸せを得られない

独善時な釣り人や公共の堤防を占有する古参の釣り人やローカルルールを押し付ける釣り人など、方言同様に流動性が低い為に起きるよね。諦めているし、彼らに期待はしていない。

しかし

自分の堤防との認識からゴミを持ち帰ったり清掃するマインドが高いのも彼等だ。新参者の釣り人にも同じ意識を持って行動してもらいたいと思う。

幼稚な箇条書きかも知れないが、自分より欲求を叶えることだけが大切だという考え方なら拒絶した事になる。

  • 釣り場の後もは持ち帰ろう
  • 稚魚や魚体が小さい魚はリリースしよう。
  • 釣り過ぎないように

つまり

釣り場を汚す人も小さい魚をリリースしない人達は「自分の世界が狭く自分と他の視点が少ない」のだ。

  • 時間経過を自分に合わせれば80年だったり100年となる
  • 子孫を考えれば数世代で数百年から数千年先となり
  • 地球規模で考えれば45億6700万年が経過している
  • 惑星規模で考えればどうだろうか?

刹那の一瞬にも満たない瞬間に生きているよね。

新型コロナウイルスを抑える事は自分の人生で考えた時に必要な判断だけど、数世代数千年の世代を考える完全に無くす判断が正しいだろう。

釣り人も同じなのだ。

今の釣りを考える事と数世代先までの釣りを考える時には違う視点と考えた方が必要だよね。

  • 釣り場の後もは持ち帰ろう
  • 稚魚や魚体が小さい魚はリリースしよう。
  • 釣り過ぎないように

趣味は自分為にする行為で、仕事は社会との役割の交換だから意味が異なるけれど、欲を満たすだけでは幸せは得られない。

信じさせる者が支配している

何を幸せと感じるかは自由だけど、幸せと思わされた幸せは幸せでは無いと思う。

多くの支配する人が支配する方法として、物語や迷信の中に人間を閉じ込めて、その外側を見させないようにする

支配する為にイデオロギーが必要なので創作する。神話であり古事記であり聖書でも魔女の鉄槌でもなんでも構わないがそれだ。一つの筋書きに基本的な論理感を刷り込み、かつ反するものを罰するか罰せられると思わせるのだ。宗教が筋書きを語り、迷信によって支配者の権力を下支えする事で少数者の支配者が正当化してきた。だからこそ大多数に対して支配者による略奪・暴力までも神が与えた秩序として許容した。

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しかし、一歩下がって外側から作られた内側の世界を眺めると不完全さと馬鹿馬鹿しさがわかる

Right Caption
俯瞰した視点で見る癖をつける事で騙されにくくなる。

経済学は3度死んだと言われているが未だに健在。当初の経済学が人間の心理を全く盛り込まず現実の人間のお金や労働者や、借金を感情に入れていないから何度も破綻しているけど、その度に新たな迷信が誕生している。

自然失業率」の概念自体が、説明できない理由を説明する為に作られた概念なのだから、①『失業と不況は競争不足』が原因だ、だから②『規制緩和』によって競争を促進しよう。しかし、規制緩和がうまくいかない場合に彼らは、③『労働市場の問題』と際限なく言うのだ。説明のための説明であり終わらない。

そもそも経済学が資本主義の為の経典に過ぎないからしょうがないのだ。教祖様が経済学になった事を端的に表す、経済学で有名なアダム・スミスは『神の見えざる手』と読んだか、いまだに見えていない。そもそも見える必要はないのだ現代の宗教が経済学なのだから。

国富論(上)[ アダム・スミス ]
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そうは言っても『よう分からんから専門家に任せたらええやん』と言うだろうけど、些末な一端から経済はつながっている為に全てに影響する。つまり、あなたの行動が全体に影響を及ぼすのだ。その意味で、経済を専門家に任せるのは、自分の人生を運命を価値を中世の異端審問官や神学者や教会に任せるのと変わりない。これは、悪手としか言えない。

自分たちに都合のいいように利益を継続的に手に入れ、庶民には反乱や暴動を起こさせずに権力を維持し続ける。

手っ取り早いのが許育の分断である。考える事を奪えば金も時間も奪えるので支配者にとって都合が良いだろう。勉強できない人を強制的に勉強させるシステムが学校であるが、現実はコレだ。英誌「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット」(EIU)によると日本の民主主義指数は先進国で最下位の22位(2008年)⇒24位(2019年)で欠陥のある民主主義に分類されている。更に、経済民主主義指数(労働者の自己決定権がどこまで保証されているか)は、OECD加盟国32カ国中29位(2017年度)⇒24位(2019年度)また、厚生労働省の国民生活基礎調査によると、日本はGDPに占める教育支出が少なく、就労している母と子のひとり親世帯の貧困率が先進国で吐出して高いだけでなく、日本に住む7人に1人は(相対的)貧困(2015年時点)と先進国で最低となっている。

この状態が幸せだろうか?少なくとも気づかないうちに誰かに操られ、意のままに動かされてしまうのは恐ろしく感じる。私達が、自由意志で自己決定し問題を認識する事で服従の喜びを支配者に感謝する事から解放され人生の主人公なのだから。

終わりに

新型コロナウイルスで外出自粛の空気がマスメディアによって醸成され、空気という相互監視によって強化された。

官製プロパガンダの自衛隊によるブルーインパルス飛行の意味づけなどやりたい方だたったが、堤防から釣り人が減り魚が約2ヶ月程度温存された事で、良型を堤防からも釣れる状況を実感し、毎日釣る楽しみもあるけれど、次の為に残す釣りも必要と感じた。

プロパガンダ 広告・政治宣伝のからくりを見抜く
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