国際恋愛関連で良くある【愛さえあれば言葉の壁なんて無い】は初めはそうだと思いますが、3年までだと思います。嘘ではないが長い付き合いを考えるなら、語学習得は少なからず必要で、この【愛さえあれば言葉の壁なんて無い】ってフレーズは語学習得をあきらめる方にとって都合が良でしょう。
私自身が『語学学校に1~2年通え』と言われるのですから、利便性以上にコミュニケーションの大切さを再確認する機会になりました。
言語はツール
言語はツールであって伝われば何でも良いから、学校の様にテストで100点なんて不要だから気楽にすると良い。言葉が通じない国際カップルの恋愛は可能だが結婚となると2人以上の人間かが関わって複雑性が増すリスクを知るべきと思う。
カップルがお互いの母国語を話せた方が意思の疎通が早いのは確かで、相手が話そうと頑張っていると思えるから心理的にもマジで違います。
人間性が分からない
言語による意思の疎通出来ない場合、カタコトの会話しか出来ない場合、相手の思考や人間性を見誤る事が意外とある。
ロシア人に『言葉が分からなければ喧嘩は無いね』と言われたが、その意味は、相手の友達と一緒にいる時に、友達に自分の事を何と言っているから不明だ。例えば自分との下ネタを言っていても気づかないし、秘密の会話が不要になるから、目の前の会話や電話で色々(良い事も悪い事も金の話)言っても気づく事が出来ない。
相手の言語を勉強する努力を
会話数が少ない
会話によるコミュニケーションが不得意な場合、相手に思いを伝えられず、自分で処理する事になり、夜な夜な一人で泣くことになる。しかも、会話可能な異性が見つかれば別れるパターンもあるから、お互いに語彙力を身に付ける努力を心がけると良いよ。
翻訳の翻訳
相手の言語でスムーズな意思の疎通が出来ない為に、相手の言葉をさらに翻訳する習慣が身に付くはずです。
極端な例を言えば『ババァ飯』である。これを翻訳(脳内変換)して、『すみません、ご飯を頂けますか?』と無意識に自分の都合の良い様に翻訳(お店で友人が言った言葉)するのですが、殆どの場合に美化して翻訳する為に、本当に相手が言いたい事の現実とのギャップが出てきます。
翻訳は幻想
恋愛から結婚など友人や家族の付き合いが広がった場合、さらに言語が出来ないデメリットは拡大して、孤立してしまいます。家族で集まった場合に、飲んで食べ続けるだけになりよ(1カ月間滞在して本当にそうなった)もちろん相手が事前に『話せない』『優しくしてほしいと』根回しをして貰えれば違いますが、親戚中が集まるなど人数が多いとそうはいかない場合が多々あります。
海外経験が重要
孤独とホームシックには、他県への転勤でもホームシックになるくらいなので、異国で更に心理的不安が大きくなる。熱が出る人も居るのだから、同じ経験をした事があれば相手の気持ちも分からなくもないはずだ。
語学の習得には時間が必要になってくるが、そんな時にも辛抱強く努力が実るまで繰り返し励ましてくれる。←励ましてくれない人は個人的に良くないと思う。
異文化に触れる時に、文化の違いは評価基準の違いと思っているけど、例えばシャワーよりもお風呂が良いし入浴剤を入れたいとかは普通に思う。習慣化された文化を意識するのが異国で凄く際のだいご味。楽しめる人と楽しめない人の差はかなり大きいはずで、母国のルールを全て異国で適用しようとするけど、車の運転で右側通行の日本で、左側通行の異国で右側を走るくらい危険な行為だ。しかし理解もできる。
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