こんにちは、カイエンです。
釣り人が魚を堤防に「置いたまま死なせる」こと批判が高まっていますね。
農業で考えると普通のこと
農業で考えてみると「ジェノサイド」「蹂躙行為」が横行していますよ。
農業は、この区画で人間が決めた植物以外を「雑草」と言って生きることを許さいない「植物の蹂躙」が行われています。
雑草だから土から抜き取って枯らして殺す。これが「農業」と呼んでいるものの正体。
農業は美しいと幻想を抱き過ぎだと思う。
「釣り人が魚を堤防に置いたまま放置」する行為との差はどこにありますか?
釣り人が、目的の魚以外が釣れた時に「外道」というのと大差がないはずです。
現実は問題が起きている。命が奪われる?
植物も同様でしょう!
ゴルフ場では、蚊や虫が発生しないように殺虫剤を撒いて、芝生以外の雑草が生えないように農薬を大量投与して、金持ちの人間からのクレームを避けていますよね。
「植物」は良いけど「魚」はダメの理由は
私たちの倫理観やマナーに依存すると考える。
中国人などのマナーが問題になるけど彼等の国では問題にならない”習慣”だからです。
中国人のマナー向上や世間体の代わりに信用点数や監視社会でコントロールする実験が行われ成功したように思えます。
超監視社会で人権意識が低く蹂躙される環境でも、過剰なコントロールにより都市部の人々が命をかけて反発する事例が発生した。
都市部の人々は、農村部の犠牲の上に成り立っていたが逆転したのがコロナ隔離だった。
厳格な新型コロナ対策への批判は、政府の権威主義的な国内統治と監視のあり方に対する広範な不満を表す
出典元・引用文献:中国デモ、ゼロコロナだけでなく独裁的支配と表現の自由の終わりも求める
「植物」と「魚」の差
魚が元々、海水や淡水で生息する生物だから、陸地に置く行為で腐敗し蜂やハエなど害虫が大量に来て悪臭が周囲に漂う事になる。
農業と魚でしている行為で本質的な差はないが、心臓がありパクパクしている光景を植物と同じに考えられないのがみなさんの普通の感覚だろう。
私も同感・・・。
釣れた魚は、食べて持ち帰らないなら「リリース」して海に返そう。
堤防を「釣り禁止」「立ち入り禁止」にする口実を与え、漁業関係者からいわれると反論できないよ。
社会常識・通念は50年で変わる
外国人だから○○というのは、日本の50年前や100年前と同じ意味で、全く異なる社会常識や社会通念だったよね。
例えば、7歳までに半数の子供が死ぬ時代は、平均年齢50歳で七五三を祝う習慣が生まれましたが、現代は人生100年時代で子供も死ににくくなり七五三を祝う人が減りました。成人年齢20歳も戦後にできたもので、7歳のお祝い後は働ける人で成人を意味しました。
田中角栄元首相が、小学校卒業で首相になったのも当時の普通の常識で変なことはありませんが、現代は高卒・大卒が普通の世界ですよね。
今の社会常識や社会通念と違いますよね
海外だから違うも正しいけど、同じ日本でも50年や100年前の社会常識が全く違うのです。
将来は、「雑草」もダメになるかもしれませんし、水耕栽培が普及すれば工場やビルの中で「雑草」がない管理された農業が普通になるでしょう。
自分の堤防じゃないから「汚してもいい」といいという感覚は、理性で辞めてほしいし、日本の「社会常識」や「社会通念」では、「魚を堤防に捨てて良い」はダメだよね。
終わりに
皆さんも楽しい釣りをね!
それでは行ってらっしゃい
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