こんにちは、カイエンです。
日本に奇習があったように中国にも奇習があるので紹介しますね。
習慣や奇習は、村社会で感情的支配の枠組みで行われた「感情的支配の時代」から、現行法では違法として規制の対象となっている「論理的支配の時代」になり近代法が作られてきました。
しかし、明文化されていないローカルルールが「釣り」でもあるように、中国にある結婚式の伝統は結婚披露宴の「ドを超えた悪乗り」が存在し五穀豊穣・子孫繁栄を願いより”エロさが悪目立ち”している。
「中国の奇習」結婚式の伝統
中国の極一部の農村部で漢民族の婚礼儀式として行われる「鬧婚-ナオフン(婚鬧、鬧喜、鬧房など)」は、結婚式の前夜や当日などに、新郎や新婦の友人らが、その付添い人などを中国人的にからかう行為。
木に新郎をテープでぐるぐる巻きにして、消化スプレーや生卵などを投げ続けて”祝っている”のだ。
中国の結婚式がド派手で豪華絢爛(ごうかけんらん)で有名ですから、「鬧婚」をハチャメチャにするほど夫婦の絆が深まり子宝に恵まれるという考えによって常軌を逸した事態へバージョンアップしていった。

生卵を投げつけるまでは良かったが、ガソリンをまいて火をつける祝い方をした為に、新郎は全身の95%の火傷(やけど)を負い、身体障害者になってしまった。
中世に行われた”魔女狩り”の魔女の鉄槌(診断)にエロさ(裸にするetc)を内包してて、空気を読めない人間を排除し、資産家から財産を没収する機能を持っていた。
中国の結婚式の伝統
新郎新婦の初夜・・・明るい昼間に友人らが新婦の衣装を脱がすイベント
中国の結婚式の伝統
新郎の友人らが新婦の胸をもむイベント
中国の結婚式の伝統
新婦の友人らが新婦の足を持ってV字開脚・・・もはや何がしたいのか分からん
中国の結婚式の伝統
車のボンネットに乗せて尻を叩く新郎の友人ら
中国の結婚式の伝統 (?) – その 1
食事の席で新婦の胸元にご祝儀を入れるイベント
婚礼儀式として行われる「鬧婚」を、中国共産党などエリート階級は「悪習」として国営メディアを通じて批判している。
現代の価値観から見れば奇妙だが、医療が発達し人と物の行き来も活発になり、かつての閉ざされた世界が開かれていった。スマホの普及で農村部同士が「私の町ではそんなにひどくない」「私たちは一生懸命に祝福しているだけだ」と言い合っている。

死者との結婚
冥婚という未婚で亡くなった死者のために結婚相手を見つけて、死後に結婚式を挙げる俗習は、中国、台湾、韓国など東アジアで見られる。
参考記事:中国で墓から少女の遺体が盗まれる「冥婚」に利用された可能性

「日本の奇習」
現在では一見不可解な「習俗」や「奇習」ですが、昔は普通の習慣として受け入れられていた側面があり、世界中にそれぞれの風習・奇習が存在しています。
女性たちの人権と自由を無視して行われるレイプ(強姦)を考えるけど、無秩序というより秩序だって村の長や長老の指示により行われた。
人の移動が少なく移動が制限されていた世界で、「性教育の一環」また、その地域で厳格に定められたルールとして行われる。
日本各地にあったとされる性の風習を紹介している漫画の「奇習愛」。
嫁つつき
新嫁の周りを子供が集団で囲み、棒で”つつく”所作をして、新郎が「もうやけてくれ」と頼んで終わる秋田県の祭りで「嫁つつき」。
誘拐婚(嫁かつぎ、嫁盗み)
誘拐婚は、男性が結婚を申し込んで拒否した女性をむりやり強姦して処女を奪うことで傷物にし、強制的に結婚する嫁盗みの風習です。
さらに、プロポーズが拒まれることを前提に協力者を募り襲う事が可能だったので、女性が一人で出歩くのは危険でした。
DNA検査のない時代。村の中で噂は直ぐに広まりますし、未婚女性は処女であることが社会的に求められていた価値観で、非処女は嫁の貰い手がなかったので結婚せざるを得ない背景もある。
昔は処女の嫁入りお断わりだったから、処女信仰はなくむしろSEX経験のある方が良いという考え方が一般的だったが、明治維新以降に欧米やキリスト教の影響から処女性に対する価値観が変わったのだろう。
1959年に鹿児島県肝属郡串良町(現:鹿児島県鹿屋市)で、強姦致傷で男性が逮捕され実刑3年の有罪判決を言い渡されます。村人らは男性無罪だと署名が集められ、弁護士も村に「おつとい嫁じよ」という慣習があり、違法性の認識のない無罪だと主張した。
四畳半の間において仰向けに押倒し右手で同女の両手を同女の頭の上方に押えつけ、足で同女の股を蹴る等の暴行を加えて完全に同女の反抗を抑圧したうえ二回にわたり強いて同女を姦淫したがその際同女に対し治療五日間を要する処女膜裂傷を負わせた
出典元・引用文献:鹿児島地方裁判所 昭和34年(わ)104号 判決
この制度がもともと、結納金を払えないから、男女の婚姻が認められない結婚を誘拐されたという形にして認めさせる為に作られたと思いますが、ストーリー的には逆で漫画にされるよね。
- 鹿児島…おっとい嫁じょ
- 大阪…ボオタ(奪ったの意)
- 高知…かたぐ
- 長野…寝連れ(ねつれ)
人形婚
未婚のまま死去した子どもに模した”人形”を結婚適齢期まで保管して、結婚をさせる青森県五所川原市内・河原地蔵尊の周辺で行われた風習です。
夜這い
高度経済成長期のころまで残っていた「夜這い」です。
長野県の集落などで、20歳を迎える年の正月明け(夜中に)男性が女性の家に訪れ「夜這い」をする風習が日本各地の農村や漁村で広く行われていた。
足が速い男性が持てる理由は夜這い?
成人する若者たち全員参加の「夜這い」だから、女性の元についた順番に優先順位が決まっていく
女性は、自宅や部屋を施錠することを許されませんでしたから、男性たちの訪れを拒むことが出来なかった。
乱交による妊娠
種もらいの乱交「子宝祈願祭」
結婚して3年経過後も妊娠できない事は離婚の理由になった時代。
神社で子宝祈願に行く風習があった。お祭りの日に出店も出ている。お堂に妊娠できない女性や成人を迎えた女性そして若い男性が集まり雑魚寝をして一日願うのだ。願うだけで子宝には恵まれない・・・避妊したら意味のない「種もらい祭り」そう乱交が始まる。
老若男女の村の人が一晩雑魚寝して何もこらないわけがない
父親がだれか分からない
半年後、妊娠が分かれば気願成就
ブータンにも夜這いがある
「夜這い(ボナメ)」が今でも残っている(現行法上違法)ブータンの田舎の農村部や東部では、夜這いされる資格のある少女の寝床に入り込み、朝までその男が家の中に居れば結婚につながります。
処女喪失の儀式
女子は、初潮(生理)を迎えると「破爪の儀式」を受けた後で、村人たちから「夜這い」の相手を始める。
驚くほど壁が薄い作りの日本家屋。両親と姉妹が一つ屋根の下で暮らしていると、姉の元に「夜這い」が連日来るのだ。
姉の喘ぎ声を聞きながら、声を殺して布団にくるまる妹は、今日も寝不足。
初潮(生理)を迎えると赤飯を焚き、家族でお祝いを行った夜。
年長の男性の家に向かって歩いていく、初めての相手は気立てや人柄がよく処女の手ほどきができる男性が選ばれる。
そんな男性は、少ないから姉妹で同じ男性から手ほどきを受ける竿兄妹も普通だった。
一連の所作を習い、処女膜を確認して「破爪の儀式」が始まり。村での通過儀礼として大人の女性になった証拠になるから、「夜這い」を受けても困らなくなるのだ。
家の外には「夜這いOK」の印が飾られる・・・。
おじろく・おばさ
中国の一人っ子政策(現在は撤廃)で有名な人口抑制政策は、「おじろく・おばさ」として長野県神原村(現:天龍村大字神原)で風習がありました。
村の作付面積が狭いことから、食物に対する最大人数に限りがあったので村人の人口を抑制する必要があり「おじろく・おばさ」制度が誕生。
家長制度の中で長男が家を跡を継ぎ、次男以降は長男のために無償で奉仕し結婚(一生処女と童貞)も許されていません。
スタジオジブリの「もののけ姫」に出てくる「タタラ場」に子供の描写が少ないことから、強烈な人口抑制政策を行っていたのでしょう。
村八分
現代でも残る「村八分」は、村や集落など小集団にある規則や掟を破ったものに与えられる制裁の一種。
生贄主義ともいえる「村八分」は、産業、学会、企業間などでも顕在化している。
参考図書
性が抑圧され田舎の集落において、娯楽として成立したエロい風習。
人間は多様な生活様式と制度によって文化を築いてきた。
古代史をひも解けば、村の中で貧富を分散させて全ての女性が夫を捕まえるシステムとして機能した一方で、飢餓と戦争の男手がいる男尊女卑社会だから成立したとも言える。
そして、そんな習慣が嫌で村から逃げ出す者、逃げ出せず自殺する者も・・・。
本当は怖い日本のしきたり
夜這いの民俗学
フリーセックスと村一番の巨根が、集落全員の女性(未婚、既婚)らとSEXする疑似的一夫多妻制の奇習。
世界の性習俗
- 旅人に妻を差し出しSEXさせる
- 神殿で巫女が売春を行う
- あちらの世界の死者や植物と結婚する
若者と娘をめぐる民俗
夜這いと近代買春
終わりに
風習や習慣として残る疑似的な行動規範は、何かのリスク回避のために作られたのだろう。
山で囲まれた孤立し方言ができるほどに隣町との交流が無い閉ざされた世界で、「村の存続」が長老たちにとって死活問題だっのは違いない。
村の存続のために「風習」という仕組みを作り出した。
立場や身分そして家の格が違う許されない恋愛をしてしまった人同士や経済的に結婚が困難な女性側が結婚できるように風習を利用していた側面はあると思う。
それを悪用できる反面、そもそもが新婚さんに向けてのただのイベント行事だったと考えられる。
コメント